酒蔵の廃業にはM&Aが有効? 手続き方法をわかりやすく解説
はじめに
近年は日本酒の消費量が低迷し、多くの酒蔵が廃業に追い込まれています。現在、まさに廃業を考えているという酒蔵経営者も少なくないはずです。酒蔵の廃業はM&Aで回避できます。M&Aなら、事業を継承できるだけでなく、事業が発展する余地も残せます。本記事では酒蔵のM&Aについて、手順やメリット・デメリットなどを解説します。
酒蔵の廃業に関する現状
ここでは酒蔵の廃業に関して、近年の酒造数の推移および酒蔵が廃業する主な理由について解説します。
廃業する酒蔵の増加
国税庁課税部酒税課が2023年(令和5年)6月に公表した「酒のしおり」内の「酒類等製造免許場数の推移」によれば、1970年に3533軒あった清酒の製造業者数は、2021年には1544軒と半分以下になっています。
中小企業研究センターの調査によれば、酒蔵の99%以上は従業員数が300名以下の中小企業であり、国内の大企業は9社のみです。
廃業する酒蔵の数は、近年低下している酒の消費量と密接に関わっています。日本酒の消費量は1973年にピークを迎え、それ以降は減少が止まっていません。平成末期(2019年ごろ)にはピーク時の3分の1程度にまで減っています。
日本酒の消費量が減少を続けている背景としては、飲酒運転の規制強化や若者の酒離れなどが考えられます。加えて、2019年にはじまったコロナ禍によって飲酒する機会が少なくなったこともあり、以前にもまして日本酒の消費量が減りました。その結果として、多くの酒蔵が廃業を余儀なくされています。
(参照元:酒のしおり(令和5年6月) | 国税庁課税部酒税課
URL:https://www.cao.go.jp/cool_japan/kaigi/syurui/11/pdf/siryou3-4.pdf)
(参照元:伝統産業の酒造りおよび日本酒メーカー(蔵元)の展望について | 中小企業研究センター
URL:https://www.chukiken.or.jp/report/1519/)
(参照元:第1節 厳しい状況にある清酒製造業界 | 国税庁
URL:https://www.nta.go.jp/taxes/sake/kasseika/hokoku/pdf/02.pdf)
酒蔵が廃業する主な理由
酒蔵が廃業に至る原因はさまざまですが、主に2つの理由が考えられます。ひとつは経営不振です。先述した通り、日本酒を取り巻く状況の変化から、酒蔵が経営難に陥るケースは少なくありません。もうひとつの理由が後継者不足です。後継者不足は酒蔵に限った問題ではありませんが、酒蔵においても深刻です。例えば、蔵元の経営者が高齢や病気などの理由で引退する際に、事業を引き継げないケースがあります。酒造業においては、身内で経営を引き継ぐのが一般的であり、身近に事業を継承できる子どもや孫などがいれば、事業を継続できる可能性があります。しかし、そうでない場合には事業を継続することが困難になります。
酒蔵が廃業せざるを得なくなってしまった状況においても、最近では親族以外に経営を任せられる手法を使って、廃業を回避するケースが増えてきています。酒蔵が廃業を回避できる手法とは、企業あるいは事業を第三者に譲渡するM&A(Mergers and Acquisitions:企業の合併・買収)です。
酒蔵におけるM&A
ここでは、酒蔵でM&Aを実施した場合のメリットとデメリットを売り手側・買い手側についてそれぞれ解説します。
M&Aのメリット
売り手のメリットとしては、以下の4つが挙げられます。
(1)後継者を幅広く探せる
(2)従業員の雇用を守れる
(3)事業の成長を期待できる
(4)経営者が利益を得られる可能性がある
まず、後継者の不在が理由で酒蔵を廃業せざるを得ない状況に陥ったとしても、M&Aによって後継者問題は解消し、事業を継続できるようになります。次に、事業を継続できるようになれば、これまで酒蔵で働いてきた従業員の雇用も確保でき、大切な従業員を路頭に迷わす心配はなくなります。さらに、資本力のある企業の傘下に入れば、酒蔵の財務面での安定化が図れます。加えて、買い手企業の販売チャネルや取引上のネットワークなどを利用して、事業の成長も期待できます。最後に、M&Aによって酒蔵あるいは経営者が抱えていた負債が解消され、そのうえ経営者は利益を得られる可能性もあります。
一方、買い手のメリットとしては、以下の2つが挙げられます。
(1)多大なコストをかけることなく、酒造事業を立ち上げられる
(2)もともと経営していた企業とのシナジー効果が期待できる
まず、M&Aで酒蔵を取得することによって、醸造設備はもちろん、酒造技術や杜氏などの人的資源と、酒造事業に必要な資源をまとめて手に入れられます。しかも一から事業をはじめるのに比べて、はるかにコストを抑えられます。さらに、買い手側の既存事業との統合を行うことにより、個別に事業を行うのに比べて売上増大を図ることも可能であり、それによってシナジー効果が期待できます。
M&Aのデメリット
売り手のデメリットとしては、以下の2つが挙げられます。
(1)買い手が見つからない可能性がある
(2)満足できない条件での売却となる可能性がある
M&Aが成立するためには買い手が必要ですが、そもそも売り手企業の業績が悪かったり、ブランドに魅力がなかったりする場合には、なかなか買い手が見つからないということは少なくありません。いつまでも買い手が現れなければ、売却価格を下げる、事業継承時の条件を見直すといった必要に迫られます。M&Aの成立を急ぐあまり、買い手が希望する条件をすべて受け入れていたのでは、売り手としては満足できない条件での売却となってしまいます。M&Aで満足のいく結果を得るためには、専門家のアドバイスをもらいながら、問題の解決を図ることをおすすめします。
一方、買い手のデメリットとしては、以下の2つが挙げられます。
(1)従業員や杜氏、取引先、顧客などからの反発を受ける可能性がある
(2)期待通りの利益を得られない可能性がある
酒造会社は、経営者と従業員・杜氏、企業と地域社会との結びつきが強い傾向にあり、取引先や顧客も酒蔵の経営姿勢や杜氏などの醸造技術を重視しています。M&Aによって経営者が変わることは、これまで強い信頼関係で結ばれてきた従業員・杜氏や取引先、顧客からの反発を招く可能性があります。また、買い手としては、M&A成立までに綿密なシミュレーションを行い、シナジー効果などを加味しながら、事業の成長を予想していたはずですが、すべてが事前のシミュレーション通りに進むとは限りません。場合によってはM&Aで取得した企業または事業の成長は失敗に終わり、買収費用が無駄になってしまう可能性もあります。
M&Aの手続きの流れ
ここでは、戦略の策定からPMIに至るまでのM&Aの手続きの流れについて解説します。
1. 戦略策定
M&Aにおいては、売り手企業は、まず自社の状況を分析するところからはじめます。この点は酒蔵のM&Aでも変わるところはありません。現在、運営している事業を整理したうえでポートフォリオなどを作成し、事業を可視化することが重要です。次に、なぜM&Aを実施するのか、M&Aをすることによって何を達成したいかを整理します。つまりM&Aの目的を設定するということです。目的が定まったら、M&Aをどのように進めていくのかの戦略を策定します。酒蔵の場合は、買い手からの持ち込みや金融機関などからの紹介でM&Aの相手が決まることもよくありますが、そのような場合でも、M&Aの目的と戦略とを定めることが売り手にとっては欠かせません。
2. 買い手を選ぶ
M&Aの目的が明確になったら、次は買い手候補をリストアップするフェーズです。M&Aの相手となる企業を選定するには、会計や法務などの専門知識が必要です。経営層自らが企業データベースや業界情報が掲載された書籍などから探すことも可能ですが、間違いなく進めるためには、M&A専門の仲介会社にサポートを依頼した方が安心です。買い手候補のリストアップではまず20~30社程度を挙げた(ロングリスト)あと、M&A戦略などを考慮したうえで10社程度に絞り込んでいきます(ショートリスト)。最後に、絞り込んだ買い手候補に対して優先順位をつけます。
3. マッチング
買い手候補の選定が終わったら、次は専門業者のサポートなどを受けながら、候補企業にアプローチを試みます。この段階では、社名などを伏せた匿名の資料(ノンネームシート)が作成され、売り手を特定できない形で相手に提示されます。理由としては、M&Aによって酒蔵を売却する計画があることが従業員や取引先などに漏れてしまうと、業務や商談などに支障を来す恐れがあるためです。相手がノンネームシートを確認して、M&Aに対して前向きな姿勢であれば、秘密保持契約(NDA)を締結します。NDAの締結後に、売り手企業の具体的な情報が書かれた資料(インフォメーションメモランダム)が買い手候補企業に対して開示されます。
4. 買い手との交渉
売り手企業が詳細な情報を開示し、双方がM&Aを進める意思を固めたら、両社の経営トップ同士の面談や条件交渉を行います。ここで決めるのは大まかな買収金額やスケジュールなどです。売り手・買い手ともに暫定的な売却条件に合意できたら、基本合意書を作成して、両社で締結します。基本合意書に記載される主な内容は以下の通りです。
・M&Aのスキーム(株式譲渡や事業譲渡など)
・買収金額
・従業員や役員の処遇
・今後のスケジュール(デューデリジェンス日やクロージング日など)
・デューデリジェンス(売り手の協力義務を明記する)
・費用負担(弁護士や公認会計士への報酬分担方法など)
・裁判管轄(紛争が起きた場合、どちらの住所地の裁判所で行うのかを明記する)
・準拠法(契約内容の解釈に問題が起きた場合、どの国の法律に従うのかを明記する)
・独占交渉権の有無
5. デューデリジェンス
基本合意書の締結後にデューデリジェンス(Due Diligence:買収監査)を実施します。デューデリジェンスとは、買い手企業が売り手企業および事業などの実態を精査し、M&Aの実施や買収価格が適正であるのか否かを調査することです。デューデリジェンスには専門知識が必要であり、一般的には外部の専門家に依頼して実施します。調査は財務や人事、法務など、売り手企業のさまざまな面に対して行われます。このとき、売り手側には追加資料の提供などが求められることがありますが、要求された場合には、誠実な態度で応じることが重要です。
6. 最終契約書の締結
デューデリジェンスの結果をもとに、買収の可否や価格を最終的に決定します。M&Aが成立した場合には、基本合意書に記載された内容に以下の項目が追加されて最終契約書が作成され、売り手企業・買い手企業間で締結されます。
・クロージングの実行規定を定める前提条件
・提示した情報が正確であることを示す表明保証
・クロージングを拒否して、契約を解除できる条項を定める解除条件
・契約違反があった場合、損害を填補することを定める補償条項
法的拘束力をもたない基本合意書とは異なり、最終契約書には法的な拘束力(M&Aを実行する義務がある)があります。例えば、最終契約書の締結後に解約した場合には、相手に解約違約金を請求できます。
7. クロージング
最終契約書を締結したら、クロージングへと進みます。クロージングとは、M&Aの取引を実行することです。株式譲渡や事業譲渡などの手続きを行い、買い手企業から売り手企業に対して買収金額を支払います。最終契約書を締結してからクロージングまでには、1か月から長い場合には1年ほどかかることを留意して置く必要があります。これだけの長い時間を要する理由は、デューデリジェンスによって露見した問題を修正したり、法的処理を行ったりするためです。
8. PMI(Post Merger Integration)
クロージングによって取引が実行されても、M&Aはまだ終わりではありません。売り手企業と買い手企業の双方が買収によるメリットを得るため、経営を統合する必要があります。PMI(Post Merger Integration)とは文字通り、M&A後に行う経営統合を意味します。統合すべき内容は、人員配置、人事制度、会議体など、多岐にわたります。特に酒造業界では、事業(酒造り)を推進するために経営者と従業員・杜氏との信頼関係を築くことが何よりも重要です。従業員・杜氏に気持ちよく働いてもらうためにも、経営統合後に快適な労働環境を整えることが重要です。
酒蔵のM&Aに必要なコスト
必要なコストとしては、仲介手数料と税金が挙げられます。仲介手数料は専門業者に支払う費用で、相談料や着手金、中間金が含まれます。相談料は最大1万円、着手金は最大200万円、中間金は最大100万円ほどです。また、デューデリジェンスのための費用や成功報酬費用、毎月支払うリテイナーフィー(定額顧問料)も必要です。税金は、M&Aのスキームによって異なります。オーナー経営者が株式譲渡した場合は、売り手側に所得税と復興特別所得税、個人住民税がかかり、現行の税率は20.315%となります。事業譲渡の場合は、売り手企業の譲渡益に対して法人税等がかかります。税率は約30%です。
酒蔵のM&Aを成功させるポイント
M&Aは経営における一大決断であり、失敗することは許されません。M&Aを成功させる鍵のひとつはタイミングにあります。上述した通り、M&Aのプロセスは長期にわたり、戦略の作成からクロージングまでに3年以上かかることもめずらしくありません。契約相手(買い手企業)と対等な交渉ができる状況にあるときに、できる限り有利な条件で契約を結ぶことが得策です。酒蔵のM&Aを進める際には、伝統を理解する買い手企業を選ぶことが重要であり、従業員・杜氏のモチベーションがM&A実施後にも維持されるか否かも考慮すべきポイントです。
酒蔵のM&Aにおける注意点
M&Aにはさまざまなリスクがあり、失敗すれば大きな損失につながります。焦って実施しないこと、M&A後に変更が起こり得ることの2つには注意しておくべきです。
M&Aを焦って行わない
M&Aは焦らず慎重に進めることが肝要です。手続きにおいては法務や財務、人事労務など、さまざまな項目を扱うため、入念な調査と検討が必要になります。最終契約の締結を急ぐあまり、不利な条件を受け入れてしまわないように注意してください。
M&A後に変更が生じる場合もある
本記事の冒頭で述べた通り、酒蔵のほとんどは中小企業です。多くの酒蔵が社内管理体制の不備や脆弱な経営基盤、業務の属人化など、さまざまな問題を抱えていると考えて間違いはありません。本来はあってはならないことですが、売り手企業が利益を実際よりも多く計上している可能性もあり、M&A後に露見すると、取引が停止される場合もあります。こうしたリスクを避けるためにも、M&Aの戦略策定時から専門家に入ってもらい、アドバイスを受けることをおすすめします。
まとめ
経営不振や後継者不足などの理由によって、廃業せざるを得ない酒蔵が年々増えています。廃業を検討しているという状況にあっても、M&Aの実施によって事業を継承することは可能です。酒蔵のM&A成功の鍵は慎重な調査と交渉にあり、焦らずに伝統や特性を理解した買い手企業を選定する必要があります。不利な契約を回避し、長期的なビジョンをもって交渉を進めることが重要です。
▼監修者プロフィール

岩下 岳(S&G株式会社 代表取締役) S&G株式会社
新卒で日立Gr.に入社。同社の海外拠点立上げ業務等に従事。
その後、東証一部上場のM&A仲介業界最大手の日本M&Aセンターへ入社ディールマネージャーとして、複数社のM&A(株式譲渡・事業譲渡・業務提携等)支援に関与。IT、製造業、人材、小売、エンタメ、建設、飲食、ホテル、物流、不動産、サービス業、アパレル、産業廃棄物処分業等、様々な業界・業種でM&Aの支援実績を有する。現在はS&G代表として、M&Aアドバイザー、及び企業顧問に従事している。